後で知ったんだが、「久里浜、赤城、松沢、長谷川、井之頭」これらはすべて、アルコール病棟のある病院だ。それぞれの正式名称は省略する。
俺の入った井之頭病院のシステムは3ヶ月。第一期治療が最初の2週間。午前中一杯かけて、大量の点滴を打ち、体からアルコールを洗い流す。点滴は2リットルほどだったろうか?あとは、たまにアルコール依存症がいかに恐ろしいか、みたいなビデオを見るほかは、ひたすら横になっている。そもそもみんなぼろぼろになって運ばれて来ているため、寝てるしかない。第一期治療が終わった段階で、家族とケースワーカーとドクターの面談があり、第二期治療に進むかどうか決める。第二期は、毎朝のウォーキング、地元の「断酒会」への参加、陶芸をやったり、ゲームみたいなことをやったりと、けっこう忙しい。
ここのアルコール病棟では、なぜか日中はパジャマでいることは許されないので、
「この人が、入院患者なの!?」みたいな人も結構いる。男ばかり、50名弱。ちなみに、女子のアルコール病棟というのはほとんどないそうだ。
最初の3日はひたすら寝続けた。病棟の外へ出ようかな、と思ったのは4日目である。朝起きたら「あれ、少し調子いいぞ」と思って、朝6時頃、中庭に出た。まだふらついているものの、酒がすっかり抜けて気分はいい。中庭を散歩していると、小さな小さな青い花がたくさん咲いていた。植物なんて全く興味がなかったのに、気が付いたら、花を踏まないようによけて歩いている。
後日、この話を唄うたいの友達に話したら、こんな事を言われた。
「渡、その花は陽子さん(仮名、当時の妻)だったんだよ。渡は陽子さんを踏んでたんだよ。だから今、踏まないようにって、思ってるんだよ」
ハッとした。無意識の領域で、何かが変わりつつあるようだ。入院してからすっかり弱気になり、久しぶりに見た外の景色。すべてが愛おしい。
この唄うたいもアルコール依存症で病院行きとなり、もう7年断酒を続けている。メジャーデビューしたことは無いが、作詞家としてビッグアーティストに詩を提供した事もある、カオルと言う男だ。酒を断ち、ライブハウスで歌い、自主制作のCDを手売りして生計を立てている。俺は「アルコール依存症の先輩」であるカオルにずいぶんアドバイスしてもらい、助けてもらった。
4日目。少し気分がよくなったので、みんな昼間だらだらと過ごす「デイルーム」でテレビを見たりする余裕が出て来た。
吉岡とずいぶん話すようになっていた。二度目の入院である事。カウンターだけの居酒屋をやっていて、仕込みのときから飲み始め、気がついたら連続飲酒になって動けなくなっていたこと、等々。
料理が得意だと言う吉岡は、「調味料セット」を持ち込み、味の薄い病院食にふりかけをかけたり、いろいろと工夫していた。見てみると、「ベテラン」の方々は、みんな自分の「調味料セット」を持っており、いろいろと工夫して食べていた。確かに病院食は味が薄くておいしくはなかったが、これを機にダイエットしようと思った俺は、毎回プレーンまま病院食を頂いた。決しておいしくはなかったが、確かに体には良さそうなメニューばかりで、それはそれでよかった。
決して量が多くはない病院食だが、間食出来たのはやっと5日目。
食堂(デイルーム)には、座るところに名前が書かれている。全席指定だ。最初の4日は、3食、誰とも口を利かずに食べた。誰も話しかけて来なかったしね。
5日目の夕食、初めて間食した時、向かいの席のじいさんが話しかけて来た。
「ニイちゃん、どこも悪そうに見えねえのにな。メシも良く喰うしよ。」
佐々木というこのじいさんは、20年断酒したが、一口飲んだ日から酒が止まらなくなり、それから数年かけて、経営していた居酒屋3軒と持ち家を失い、子供達にも見捨てられ、ここを出たらもはや行くところは無いのだそうだ。
よく喰ったのは今の食事が初めてだぞ!と言いたかったが、
「こう見えても、ガンマが250くらいあって…」
とか言うと、みんな一斉にガンマーGTP自慢である。
「そんなのたいしたことねぇよ、俺、今600くらいかな」
「俺なんか入った時、1200あったからな。…もう肝硬変だけどよ」
「数字が高いヤツが偉い」みたいな訳の分からない世界だが、まぁ、ちょっとだけ打ち解けた。
少しずつみんなと話すようになると、これがまた大変な猛者の集まりであった。
今思うと、
「こっち側」
へ帰って来れてよかった。
病院で知り合い、連絡先を交換した仲間は見事に全員、今も
「あっち側」
へいる。